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12.埼玉衛生短期大学で看護を学ぶみつ子

 -風のとりわけ強い日であった。郊外の道をごうっという音をたてて冷たい北風が走り、連れ添って帰路を急ぐ女学生が揃って襟をきつくしめた。二人三人と身を寄せ合うようにして心持ち前かがみになった女学生が髪の毛を風に巻き上げながら歩いてゆく午後、私は埼玉県立衛生短大の校舎の前に立っていた。


 みつ子は高校卒業後、ただ一人静岡から遠く離れたこの埼玉の短大に入った。ここがみつ子が学生時代を送ったところなのだな、と思うと、私自身の学生時代のことがさまざまに思い出されてくる。  京都での大学生活の五年目、私は自分の人生航路の方角を定めることができず、下宿で焦燥感と胃痛に苦しめられながら鬱々とした日々を過ごしていた。その夏、沖縄の一人旅で見学した幾つかの精神病院の一つに心理士として就職したい旨を書き送ったのだがかなわず、それならばせめてアルバイトの看護助手をさせてほしいと申し出て、受け入れられたのだ。私が二十代前半に初めて社会に出たその場所は沖縄の精神病院の閉鎖病棟であった。私はそこに看護助手として約半年間アルバイトした。





 慣れない肉体労働と格闘するその最初の日々、ある時、一人の若い看護婦が「矢幡さん、老人病棟というものも少し見ておきますか」と言った。私たちは、その精神病院の一角に設置された老人病室に向かった。


 その棟に入ると、入り口のガラスのドアに鍵がかかっていた。看護婦の後について入ったとたん、私はぎょっとした。


 大きな畳敷きの部屋に数人の老人がいる。ある人は膝をついて口をあんぐり空けたまま宙を見ている。また別な人は、何かを探すように床を這いながら小刻みに手を震わせている。


 はじめて重い認知症の姿を見た。入り口に鍵がかけてあった理由がようやくわかった。彼らは方角も自分がどこにいるのかも判別とせず、いったん外に出てしまったら、どこに迷ってしまうのかわからないのだ。  その隣の大部屋に入った。ベッドが並んでいた。そしてそこには、手足がまるで縮んでしまったかのように見えるお年寄りが横になっていた。私の足はもうすくんでいた。彼らはみな鼻や点滴に透明な管をつないで、機械の助力で生命を維持していた。






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