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13.看護現場へ-私もその場所を知っている

 「矢幡さん、これが老人医療の現実ですよ。」

 

 若い看護婦は静かにそう言うと、一人の老人の体位を横にした。そして背中の方から寝間着の裾をたぐり上げた。

 

 老人の腰には穴が空いていた。月面のクレーターのような形をしていた。そして血と肉がむき出しになっていた。

 

 頭が半分ぶっ飛ばされたような衝撃がきた。二十年近くを経て、その瞬間は私の中に鮮やかに残っている。自分の心臓がきゅっと縮んでゆくのがわかった。魂が遠い場所に消えてゆくようだった。

 

 初めて間近に見る人間の生々しい内部。看護婦が、何でもないように次々に患者の辱創の処置をする間、私の全身は痺れたようになって、辛うじて生返事だけをしていた。それからどうやって病棟まで戻ることができたのかもよくわからなかった。

 

 看護という仕事を行うには、ある精神的な強さが必要である。破損された身体、内臓、膿、嘆きと痛み、そして死。そういう人間存在の醜い否定的な一面と日々向き合わなければならぬ。

 

 私は、たとえ自分がどんなに長年やったとしても、あの環境に到底慣れることができたとは思えないのである。-みつ子はそういう現場にいたのだな、と思う。

 

 風は一向に弱まる気配を見せず、私は震えながら暗い思い出の情景にひたっていた。

 

 

依存せずに生きる

 

 短大卒業後の浜松医科大学付属病院への就職、静岡赤十字病院への就職、それらもいずれも友人と相談して連れ立って選ばれたものではなかった。女子高校生には、トイレにゆくにも一緒、昼食も一緒、帰りにも同じ喫茶店に立ち寄り、勉強するのも一緒、というような「つるむ」行動が多いことを考えると、みつ子の選択は特異に見える。実際、級友の一人は、みつ子のただ一人遠い埼玉の短大に進学するという進路選択が不可解に見えた、と述べている。みつ子の周囲では、進路を選ぶにも、二人三人と連れ立って一緒の就職先や進学先に進むことが普通と考えられていたようだ。

 

 また、若い人に「将来どうしたいのか」「○○についてあなたはどう思うか」というようなことを聞いても、ほとんどその人個人の考えらしきものがかえってこないことが多い。彼らは、照れ笑いのような表情を浮かべて口をつぐむ。隣に連れがいれば、まず当惑したような笑みを浮かべて連れの方に顔を向け、そしてしばらくしてどちらかが先に意見を表明することを恐れるように互いに肯定なり否定なりの表情の動きが出るのを待ち、どちらが先にということもなく「・・・だよね」「うん、うん。」とうなずきあって、やっと、「意見」らしきものが出るのだが、大抵その内容は、「それ、どういうこと?」と聞き返される可能性がない最も無難なものである。このような、自分の意見というものを全く持っていないのは、決して若い人に限ったことではない。成人でも、言っていることはほとんど新聞のコラムかテレビのキャスターが言っていたことをそのまま繰り返しているだけ、という場合も多い。学者ですら「この分野の第一人者の○○が言うように・・・」と、既に認められている権威の見解の紹介というかたちで物を言うことが多い。皆が揃って「自分の意見」を持つことを恐れているようだ。日本人が、海外の目から見ると、面白みがなく退屈極まりない「顔のない日本人」に見えるということも無理はない、という気すらしてくる。

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