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9.リセットを繰り返す人生

 みつ子が持っていたほとんど唯一の「処世術」は、ひたすら対人関係に巻き込まれないようにすることと、表向きは「『こうするべき』と決まっていること」を細心に遵守する、ということであった。これも安全感の乏しさの一つの現れであり、その背後には、「人生は危険に満ちており、なんとか無事にやってゆくためには、細い道を間違いなく歩んで行かなければならず、そこから少しでもそれたら、どんな危険が待っているかもわからない」という恐怖に萎縮した感情がある。


 彼女の「『こうするべき』と決まっていることを忠実に行う」という狭い行動レパートリーで対処できない状況には、「お手上げ」で「どうしてよいのかわからない」という状態になり、狼狽することしかできなかったのである。 人生をリセットする  -南越谷のホームから見た駅周辺はひどくごみごみした印象であった。瀟洒な駅ビルがあるかと思えば、ショーパブや風俗店が並ぶ薄暗い横町が見える。上を見上げると銀行の大きな看板、下を見下ろすと並んだタクシーと、宝石店と麻雀クラブがあった。武蔵野線に乗り込んだ。途中で武蔵野の面影を感じたのは、冬枯れのススキに覆われた、鉄塔の立つ野原と雑木林が二カ所あった程度であった。寂しい雲が冬の空に浮かび、平野の向こうまでずっとアパートなどの家並みが埋めつくしているのを見ながら、一週間前に行った大井川町の田園光景を思い出してみると、それはやはり遠い遠い世界のように思われた。


 電車に揺られていた短大生のみつ子の気持ちを思ってみると、不意に沖縄北部のきび畑の中の小道をうつむいて歩いていた二四歳の私の姿がぼんやりと浮かんでくる。私は、親にも友人にも告げぬまま、ほとんど失踪するように、詰め込めるだけの荷物をリュックに詰め込んで沖縄に渡った。冬のおおしけの中、二晩の船の中で私は猛烈な吐き気で立ち上がることすらできなかった。そうして、昔民宿だった小さな部屋を間借りし、周囲の見慣れぬ亜熱帯の風物の中を私は「これから自分はどうなるのだろう」と心細く思いながら歩いていた。しかし、ほとんど凶暴と言ってもいい力で断固として自分の人生の連続性をそこで断ち切らなければ自分はもう一歩も進めない、と固く思い詰めていた。そう言えば、大学受験でも、私は東京から身を引き剥がすように京都へと移動したのである。  私は、そのように、自分の生活を何度か断絶しなければ、精神的にやってこれなかった。そしてみつ子の人生も同じように、それまでの人生の連続性を振り切るような選択が何度か行なわれている。



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