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7.高校時代の無表情の理由

 高校時代のみつ子の印象に関する証言は殆ど一致している。「おとなしい」「にここしているが、話しかければ答える、という程度で自分から自分のことを喋ることが全くない」などである。卒業後も、卒業生の間で話題になることが全くなく、「そんな人、いたっけ」という程度にしか記憶に残らないほど目立たず存在感のない生徒であった。

 そして文京区音羽の母親たちが見たみつ子も同じであった。例えば、「無口」「自己主張が無い」「感情を表面に出さない」「地味でおとなしい」「何を考えているのかわからない」などである。

 これらの無口、喜怒哀楽が表情に出ない、伏目がち、意思表示がない、などの傾向は、一般化すると、「自分を表に出さない」「自分を隠す」という傾向であり、分裂気質者の大きな特徴とされるものだ。何故、このような傾向が生じるのであろうか。

 例えば、音羽時代にも、「表情に自然さがなく、いつもあらたまったよそゆきの表情をしていた」という印象が伝えられている。つまり、みつ子は基本的に何かの感情を感じてもそれを表に出さない習性が深く身についていたのだ。みつ子の行動全般には、「他人の視線から身を隠したい」という傾向が顕著である。「存在感のなさ」はそこから来ていた。 そもそも「感情」とは大変身体的な現象であり、「一喜一憂」によって体が硬くなったり、体の緊張が緩んだり、というように体は感情を反映する。感情が引き起こす体の振動は顔面の筋肉にも伝わり、笑顔・しかめ面・泣き顔などの変化が生じる。

 分裂気質者の場合は、顔面にこのような感情の波があまり現れない。他人からは「何を考えているのかわからない」というように見えてしまう。

 それは、分裂気質者は「自分を見られるまい」とするからである。自分の感情が表面に出て他人に勘づかれてしまう、ということは「自分を見られる」ことであり、それだけで危険なことと思われるのだ。彼らは、ありのままの自分は誰からも愛されないと信じている。

 分裂気質者は、自分の身体を「視線を遮るカーテン」であると感じるようになる。そして、自分の心の動きが表面に出ないように表情を固くしている時に、彼らは誰も見ない秘密の小部屋に身を潜めているようにほっと息をつくことができる。彼らは、無表情という鎧をまとった時に初めて安全を感じることができる。彼らは、物心ついた時から、感情が表に現れないようにコントロールする習慣をつけている。
 みつ子はすでに、決して周囲の注意を引かないように影のような存在となり、人々からその存在を忘れられる、という昆虫が保護色によってそのみを隠すようなスタイルの生き方を身につけていた。


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