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山田みつ子の生地に立つ

 冬の空に暮色が混じり始めていた。

 閉ざされたアルミサッシの雨戸とブリキづくりの納屋との間にはさまれた八畳ほどの小さな裏庭、椿の木の下の黒い土の上にいくつかの花束と子ども向けのお菓子や飲み物が積まれていた。

 そこに春菜ちゃんが埋められていた。

 一九九九年一一月二二日月曜日、東京都文京区の音羽幼稚園。昼前に二歳の春菜ちゃんを連れた若山直美さん(三二)が五歳の長男を迎えに来ていた。山田みつ子(三五)も、二歳の長女を連れて五歳の長男を迎えに来ていた。

 わずかな時間であった。みつ子は庭で遊んでいた春菜ちゃんを境内の隅の共同便所に連れ込み、マフラーで首を締め、折り畳み、持っていた黒いバッグに詰め込んだ。

 みつ子は、新幹線と在来線を乗り継いで東焼津駅にゆき、そこからタクシーで大井川の生家に着き、裏庭を手で掘って春菜ちゃんを埋めた。

 同じ道筋をたどって、私はその場所に着いた。

 その向こうには春を待つ畑が広がって見える、木を組み合わせただけの垣根が冬日を受けてその場所の上にくっきりと影を落としていた。
 家の前には畑が広がっている。土の上に雑草がまばらに生え、そこに差し込む冬の傾日が輪郭がはっきりした影を落としている。ずっと向こうに並ぶ、新しい住宅の群れ。樹木が集まって黒い影のように見えるところは社か何かであろうか。その向こうにみつ子が通った南小学校の校舎が日を受けてきらめいている。

 もう一度振り返ると、雨戸を固く閉じた母屋はブリキは赤黒く錆び、木目も黒ずんで、朽ちゆく廃屋に見えた。

 その家から二軒ほど離れて、昔の駄菓子屋さんのような店があった。人が二人ほどやっと入れるぐらいのスペースにお菓子が所狭しと置いてある店があった。店番の年配の女性に取材した。

「みつ子さんは、子供の頃から、物静かでしたねえ。うちの子とよく遊びましたが、あの子のほうからうちに積極的にやってくることはあんまりなかったですよ。うちの子たちがあっちのうちに行ったり、こっちに誘ったり、という感じでしたね。」

 その女性は、みつ子は体を使って外で遊ぶことはあまりなく、絵を描いたりとか珠算とかを黙ってやっていることが多かったく、また、そういうことは上手だった、という。

「何をやってもひたむきというか、一生懸命やっていました。おとなしい子供でね。でも、芯はしっかりしている感じはしました。ちょっと気が小さいというか、どこか神経質な感じのする子供でしたね。」
 それ以外のエピソードは一つも聞き出せなかった。私は、みつ子がどんなものを見てきたのかを自分の目で見てみたいと思った。その店を出て、小学校の方に向かった。

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